正式名称を「金光明四天王護国之寺」といい、その創建の歴史は今から約1250年前「青丹よし奈良の都は咲く花の匂うがごとく今盛りなり」と万葉集に歌われた奈良時代、時の天皇であられた聖武天皇の詔勅によって、天平九年(737)先ず全国に釈迦三尊像と大般若経一巻が置かれ、当初の寺名は「般若寺(または福寿寺)」と称しました。続いて天平十三年(741)に「国分寺建立の詔」によって国ごとに金光明最勝王経を置き、寺名を「金光明四天王護国之寺」としました。
天平十三年(741)の詔勅が下され全国に国分寺の建立がされてから淡路島の国分寺が初めて歴史書に現れたのは約30年五の宝亀六年(775)六月の事です。「日本霊異記」という書物の中には「紀州の馬養と祖父麿の二人が嵐に遭い淡路島に漂着し、祖父麿が淡路国分寺に入って僧侶になった」という話があり、この記事によると淡路国分寺の存在は既に有名であったと思われ、宝亀六年までには淡路国分寺が完成していたと思われます。
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住所
〒656-0434 兵庫県南あわじ市八木国分331
TEL・FAX
0799-42-4773
参拝時間
9時~17時
拝観料
300円
駐車場
乗用車5台、バス2台
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